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川を見てゐた手だらうかうつすらと電車の窓にしろき跡あり

装幀放談(3)

澤村:字といえば、河野さんの『蟬声』の、タイトルの字の配置も好きです。黒くシンプルで。『母系』のタイトル部分と同じように、字はやはり、少しもり上がっていて、光沢があります。シンプルだけど、寂しい感じはしない。

濱崎:これはね。納得いってないな。

永田:え? そうなんですか?

濱崎:『母系』を意識し過ぎて、ケレンが出てしまった。永田(和宏)さんの『夏・二〇一〇』もだけど、やっぱり『母系』を思うと、へんな力が入ってしまったのかな。

澤村:字は黒だけど、さりげなく、アスタリスクで明るい赤が入っていて、この色は『母系』とのつながりを感じさせて良かったけどなあ。

濱崎:だから、作品それ自体、その本自体というより、人に拠ってしまった。作者その人についてのイメージの流れの中で作っているというか。やはり、そういう仕事をしてはいけないですね。

永田:そんなことないですよ。これはこれで良かったけどなあ。そうそう、これもカバーを外すと……本体はざらざらしてるでしょう。これね、裏なんです。

濱崎:製本所で手違いがあって、紙の表裏を間違えたという。この手触りは紙の裏なんです。

永田:これを見たお客さんが「この紙がいいです」と言って指定してきたりね。何が起こるか分かりませんよ。それはそれでね、面白いですよ。

西之原・澤村:へ~!

(補足:このほかにも、濱崎さんのお話の中にはたびたび「ケレン」という言葉が出てきたことを興味深く思いました。「広辞苑」で見ると「けれん=外連…①演劇演出用語。見た目本位の、俗受けをねらった演出・演技。②はったり。ごまかし」とあります。歌舞伎の舞台批評などでは「ケレン味たっぷりに」などと、良い意味で使うことがありますね。濱崎さんの「ケレン」はどちらかというと、①の「俗受けをねらった演出」に近いニュアンスかと、私は解釈しています。ケレンを戒めるのは、受け狙いや、意図が見えすぎるデザインを慎む、という態度なのではないかと思います。となると、読者がデザインの表すところをあからさまに察知するのではなく、「深読み」をするというのは、濱崎さんの装幀が非常にいい具合である、ということの証しなのではないか。…と、これは理屈っぽい余談でした。)

( 装幀放談 (4) へつづく )