装幀放談(1)
さて、このブログを開設するに至った本題に入りたいと思います。
濱崎実幸さんの装幀による『galley』を手にしたとき、著者としてというより、本に興味のある者として心が躍りました。まず、読者からも感想のあった「紙の感触」。「なんだこれは」という驚きが、本から手へ、手から体へと伝わり、愉悦となる感覚は、なんとも言いがたいものでした。今回の装幀について、私はほぼリクエストをしていません。「トレース(という紙)は好きではない」「四六判で、書体はリュウミンで」とは言いましたが、完成品は四六判変型で、書体は秀英になりました。結局、ほぼおまかせだったわけです。本を手にして、「濱崎さんに話を聞きたい」と即座に思いました。装幀はどのようにして作られるのか。装幀家はどんな考え方をするのか。また、電子書籍での歌集も登場したいま、紙の本として歌集を作るとはどういうことなのか。そんなことも考えてみたいと思いました。
というわけで、大いに聞き、語ってまいりました。話題は、さまざまな歌集の装幀から、濱崎さんの仕事のスタイル、もうすぐ消えてゆくのかもしれない「紙の本」について、と広がり…… そのごく一部を連載します。題して「装幀放談」と申します。
<2014年1月某日、京都市内の居酒屋にて。話し手は、装幀家の濱崎実幸さん、青磁社社主で編集者の永田淳さん、学術出版社の編集者の西之原一貴さん、『galley』著者の澤村斉美。永田さん、西之原さんも歌人である。まずはビールで>
一同:あけましておめでとうございます(乾杯)。
澤村:濱崎さん、「ベン・ハー」見ましたよ。いやあ、すごかったです。
濱崎:ああ、ガレー船といえば「ベン・ハー」ですからね。あの映画はガレー船のとこと競馬のところが。あの時代によく撮ったなあという。
永田:どんなんやったっけなあ。覚えてないな。
濱崎:あのカラーの有名なやつの前にモノクロのもあるけど、断然カラーの方が人々の記憶に残ってる。
(補足:昨年7月、初対面の打ち合わせの際、galleyとはガレー船のことも指すと聞いた濱崎さんは「ガレー船といえば『ベン・ハー』ですね」とひとこと。その時点でこの映画を見ていなかった私は、どんなイメージだろうといぶかしく思いました。後日鑑賞し、ガレー船の船底にびっしりと並ぶ漕ぎ手の、迫力ある描写に納得)
澤村:『galley』の装幀に、皆さん本当に驚かれるようで、まず表紙の手触りに驚いたという声が多いです。カバーを外すと、中の本体も鈍いさわり心地で。
濱崎:それはカバーと同じ紙を使っています。その紙の感触については、何かひっかかりを作りたくてね。
西之原:僕は、本文紙を変えるというのにびっくりしました。少なくとも歌集では見たことがないです。
濱崎:ほかの本でもないかな。それも、ひっかかりやね。読んでいって、こう中身とは関係なくひっかかりを作りたいという。結局、紙を選ぶのに一番時間がかかります。
永田:小口を染めるという案もありましたね。
濱崎:そう。でも小口を染めるのはコストがかかってね。折ごとに紙を変えるのはそんなにかからない。
永田:あと、背がまるくなってるでしょう。だから小口がカーブして、へこんでいる。これをこう、ストンと、まっすぐに角背にすると小口がまっすぐになってきれいになる。ただ、これは表紙の芯のチップボールに薄いのを使っているので、耳(綴じてある角の部分)がうまく整形できないという技術的な問題があった。
濱崎:やりくりをするのがね、けっこう好きなんです。このコストの範囲でという制限の中でいろいろ方法を考えるのが。
澤村:小口を染めるといえば、7月の打ち合わせのとき、ちょうど真中朋久さんの『エフライムの岸』ができてきて、あれは小口と天と地が青く染められていますね。三方染めるのは珍しいのでは。
永田:天金なんかはありますけどね。
濱崎:そうですね。
澤村:『エフライムの岸』、読み終わると指が青くなるんです。
永田:え~!
澤村:「読んだ」という感触が色とともに指に残るのが、真中さんの歌らしくていいと思うんです。真中さんの歌って、身体に響くでしょう。
永田:まあね。
濱崎:そんなん、深読みですよ。けっこうね、装幀については読者が深読みをしてくれる。歌集の読者は特に。でも装幀を考えるときは中身と合わそうとかあまり考えてないです。
澤村:『エフライムの岸』の扉の、半透明の紙も、川岸のイメージで靄がかかっているんだ、とおっしゃっていませんでした? 素敵やなあと思ったんですけど。
濱崎:後から説明を求められると、なんとか言葉にせなあかんからそういうふうに言うけど、作るときは全然言葉になってないんですよ。もっと、もや~っというか。こんなふう、こんな感じ、みたいに。子どもみたいに感じてる。
西之原:『galley』の発想はどこから来たんですか?
濱崎:完全にタイトルに引っ張られましたね。galleyがゲラで、活字のイメージから。
永田:表紙のね、この活字のイメージっぽいクリア箔が、ほんとにスキャンしづらい。だからアマゾンの画像もうまくいってないんだけど。実際に手に取らないとこのきれいさが伝わらないという。
澤村:扉の質感も、実際に見ると面白いですね。透かして見るのも良いけど、次のページの紙をあてた状態で見ると、石っぽくも見えるんですよね。
西之原:それこそ、石に刻まれたヒエログリフみたいな。
濱崎:ほら、深読み。いやあ、ほんま幸い、俺は昔から深読みをしてくれる人たちに囲まれて仕事している。
永田:この技法がまた難しくて、なかなかうまくいかないんだよ。パチカっていう紙で、熱を加えると変色するんだけど、こんなふうに字の形がきれいに出ないこともある。それに、表紙と違って、歯抜けになっているでしょう。
濱崎:あまり熱を加えると紙がよれてくるから。加熱する面積を減らすにはどうしたらよいかと。それで、白い部分も残してる。そういうね、物理的な限界もあって、必ずしも全部が意図したデザインというわけではない。
澤村:なるほど。ここでまた深読みが好きな人は、歯抜けになっているところに何かを読み取るかもしれない。
濱崎:実は何もないんやけどね。
( 装幀放談(2)へつづく )