装幀放談 (4)
少し間が空いてしまいました。「装幀放談」の続きです。
(お酒もだいぶすすみ、この辺りから話題があちらこちらにとびます)
永田:注目していらっしゃる装幀家は、どなたかありますか?
濱崎:あまり付き合いがないからそんなに思いつかないけど。あ、永田さんのあの歌集の装幀。
西之原:『湖をさがす』ですか。ふらんす堂さんですね。
濱崎:あれは、くやしいと思った。やられたと思った。俺がやりたかった。
澤村:岡井隆さんや東直子さんのもあるけど「短歌日記」シリーズですね。あのサイズにまず驚きました。それに、1ページに大きな字で1首って、ぜいたくな感じがするし、歌の見え方も変わってきます。
西之原:僕は、1首が3行書きで行の高さがすべてそろっている、あの組み方が良かったなあ。字数に関わらず行の上下の幅をそろえるのって、俳句では見るけど短歌ではあまり見ないです。
澤村:カバーも本体も全体が真っ黒で、カバーには銀色の箔かな、箔で描かれた不思議な魚が踊り上がっていて。外から見ると全体は黒いけど、花切れと栞が水色で、秘めた湖っぽい存在感がいいですね。
永田:装幀は和兎さんですね。
濱崎:うーん、くやしいなあ。でも青磁社もね。いつだったか、同業者と話していて、いま面白い出版社はどこかという話になって「青磁社は自由にさせてくれるよ」と言った。いま一番自由にいろいろ冒険できるという意味で。ただ永田さん、プレッシャーをかけるのもうまくてね。無言で。
永田:そんなつもり全然ないですよ。
濱崎:いやいや。プレッシャーを察知してね、これはやらなあかんと思ってがんばるわけ。
永田:濱崎さんの装幀は本当に、手に取ってその良さが分かる。『galley』がスキャンでは撮りづらいという話もしたけど、デジタル向きではないというか。
澤村:インターネット上とか、あるいは電子書籍になったときに映える装幀もあるんでしょうね。紙の本ならではの面白いことがたくさんあるのに、電子媒体では伝えにくいのはなんかくやしいなあ。
濱崎:それを言い出したらね。電子か紙かで言ったら、紙はもう何を言っても負け犬の遠吠えなんで。
澤村:遠吠えじゃない語り方ってできないんでしょうか。ちょっと、電子と紙の話になりますが、電子書籍と紙の本について、内田樹さんが書いていることに大きく頷いたことがあって。例えばミステリーを読むでしょ。で、読んでいくと手にしている本の左右の重量差とか厚さで残りがどれぐらいか分かる。読者はそれで、これぐらいの残りならもう一波瀾あるなと思って注意深く読み進めることがある、と。そうやって1ページめくるごとに、読み方が微調整されたり、解釈が変わってきたりするのが紙の本なんだ、と。
(補足:私は、内田樹『街場の文体論』(ミシマ社)の「第3講 電子書籍と少女マンガリテラシー」を思い出しながら話していました。非常に面白い本です。紙の本を読むという体験と、電子書籍を読むという体験の違いを分かりやすく考察されています。要は、紙の本と電子書籍では、「読む」という体験がそもそも別物である、という話です)
濱崎:感触みたいなことでいったら、電子書籍でもすでに「紙をめくる感触」ぐらいは相当高いレベルで実現できるんじゃないかと思うよ。
澤村:まあ、それは紙の本を読む感触の再現ということですよね。そうではなく、電子書籍特有の身体感覚がこれから生まれてくると思うし、そこからどんな作品や人間ができてくるんだろうと興味をもって見てはいますが、まだそこまではいっていない。ただ、広がっていくとは思う。その間に何もしないでいると、紙の本の体験とか、紙媒体の美点は忘れられてしまうのではないか、と。私はそれは困るんですよねえ。読者として作り手として。
永田:実際どうです? 電子書籍は売れているんですか。
西之原:うーん。うちもやってはいるんですけどね。好評の本でも、採算の都合で重版できず品切れになったままのものもあるので、そういう本を電子化したりはしています。でも、月締めの売れゆき=ダウンロード数はまだまだ微々たるものです。業界大手であっても、紙の本よりも売れ行きが厳しいようなことはよく聞きますし、電子端末のフォーマットの問題などもありなかなか浸透していかないようですね。
濱崎:まあでも、全体的に電子化していく流れでしょうね。それでも俺は紙が好きやから。どうしても紙の方にいくんやけど。
澤村:青磁社も、今年の年賀状に「紙でいく」ということを書かれていましたね。
(補足:青磁社の2014年年賀状から引用します。「歌集の電子書籍化が徐々に広がりを見せ始めておりますが、青磁社はあくまで紙にこだわった本造りを目指していきたいと考えています。手触り、重さ、ページを開く時の紙擦れの音、インクを吸った紙の匂いそういった暖かみこそ短詩型にふさわしいと考えるからです」)
濱崎:電子書籍には、まだ官能性がない。セクシーさというか。それはまだ全然感じられないな。
永田・西之原・澤村:官能性……。
濱崎:そこは俺は、やっぱり紙やな。紙が好きやな。
澤村:ウンベルト・エーコと誰だったかが、紙の本について話してる本があるでしょう。
濱崎:ああ、あの青い本ね。
(補足:『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(阪急コミュニケーションズ)という本で、ウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールが話しています。工藤妙子訳)
澤村:本当に本が好きな人たちの対談だけれど、あの雰囲気にはちょっと反対する気持ちもあって。その、本が高級な工芸品で、それを大事にしまっておいて愛でる、みたいな本の愛し方になってしまうのもなんかちがう、とも思うんです。もちろん、そういう愛書家が紙の本を支える面はあるんですけど。紙の本は、もっと人の手に取られて、開くとか付箋を貼るとか、持ち歩くとか、使われてこそ、というところもあるでしょう。
濱崎:それはね、あの人たちは本の文化からしてわれわれとは違うわけです。あの人たちは羊皮紙から始まっているわけでしょう。だから、あのような工芸品的な愛し方も根付いているわけ。
永田:昔は釘で綴じていたから、「装釘」という表記もあったんですよ。
澤村:装幀家としては、自分が作った本が汚れるということに関してはどうですか。
濱崎:それは歓迎ですね。汚れていい。触っていい。
( 装幀放談(5)へつづく )