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川を見てゐた手だらうかうつすらと電車の窓にしろき跡あり

装幀放談(2)

澤村:濱崎さんの装幀で私が一番感銘を受けたのは、河野裕子さんの歌集『母系』です。(実物を取り出す)

永田:お! どっちだ? 初版か2刷か?

澤村:え?

永田:初版と2刷で違うんですよ。(帯をめくって)ああ、これは初版だ。

濱崎:うん、やっぱり初版は光り方が違うね。

澤村:ええと、(奥付を確認して)初版です。

西之原:帯の上辺のところがうっすらと、ほんのりと赤くなっている……。

濱崎:そうそう。このほのかに、赤が光って映る感じが、初版の方がやはりきれいに出ていますね。

永田:初版は、帯の紙を貼り合わせているんですよ。表の紙と、裏の蛍光色の紙と。

濱崎:合紙というのですが、これはコストがかかりましてね。青磁社からも悲鳴が上がって、2刷からは印刷になりました。最初はほんまに、電池で光らそうかというアイデアもあった。

永田:ありましたねえ。

濱崎:本気で、本に電池を付けようかと思ったけど、かさばるから。

澤村:帯の紙をこんなにきれいに貼り合わせるなんて、むずかしい技術なのでは。

永田:いや、それは専門の加工会社があって、技術がちゃんとあります。

澤村:ほんのりと赤くしたい、というイメージがあって、それを作るためにあれこれと技術を工夫するのですか。

濱崎:そうです。河野さんはね、幼女のイメージだったんですよ。装幀する前には著者にはなるべく会わないようにしているのですが、河野さんには会ってしまいました。会わないようにしているのは、テキストそのものよりも著者の人となりをデザインに写してしまうことがあるからです。うっかり楽しかったり好意を持ったりすると、著者に気に入ってもらいたいと不純な気持ちになるから。それで、河野さんにお目にかかったときもはじめは渋々だったんです。そのときに装幀の信条のようなものを問われて、苦し紛れに「降りてくるのを待つ」ようなことを放言してしまい、「あとがき」には、濱崎の創作スタイルとして書かれてしまうわ、あちらこちらの新聞のインタヴューで「降りてくるのを待つ人」のようなことを話されてしまうわで随分と赤面させられました。河野さんはこう、内側からあかく光る感じでした。かわいらしさもあって。

西之原:『母系』の赤はどこか澄んだ赤ですね。

澤村:『体力』の装幀も赤いけれど、あれは暗めの深い赤だったでしょう。

永田:レオナルド・ダ・ヴィンチの絵を使っていてね。

 (補足:『体力』は1998年、本阿弥書店刊。装幀は海保透さんです)

澤村:『母系』の澄んだ赤は、当時の河野さんの歌の調べのイメージとなんか通じるなあ。

濱崎:やっぱり、『母系』は転機となった仕事で。

永田:装幀の賞も受賞されましたね。

濱崎:ええ。それよりも自分の仕事のしかたとしてね。こういう仕事をするには、ここまで自分を追い詰めなあかんのかと知りました。そもそも、永田淳さんの注文がただ一つ「渾身の仕事を」と。「渾身の仕事」てのは、やろうと思ってできるわけもなし……。結局、何をしたかというと、常なら2、3割の予測しきれないところ、例えばインキの発色だったり、製本の微妙な塩梅などは、印刷所・加工所に結果オーライで任せてしまっているのですが、その割合を小さくすること、計画と結果の誤差を限りなく追い詰めることでした。こんなことを毎度の仕事でやっていたら怒られてしまうし、何事も「良い加減」というものがあると思うのですが、『母系』の装幀にあたっては、できることといえばそれくらいしか思い浮かびませんでした。それで、歌集ができてから打ち上げの場で、河野さんから掛けていただいた第一声が、「濱崎さん、降りてきましたね」。いままでの中で最高の賛辞です。

永田:カバーを外してみて。この背の赤いところ。クロスの上に、背の部分だけに貼っているんです。

西之原・澤村:あーほんとだ。

永田:この貼る部分が、もっと幅があって、表紙の3分の1ぐらいまで貼ってある装幀はよく見るでしょう。でも、これを背の部分だけに貼るとなると難しい。

濱崎:(製本所に)できません、て言われた。できるはず、と言い返したけど。実際、できた。粘って言ってみるもんです。

澤村:そのつど、その本の装幀のために生まれる技術があるということですね。

永田:こんなにいろいろとするようになったのはいつからでしたっけね。

濱崎:吉川宏志さんの『風景と実感』あたり。あれでセロテープを貼った時から。

永田:セロテープね! あれ、書店さんに「テープくっついてますけど」って言われたことあったなあ。

澤村:『母系』で私が一番好きなのは、タイトルのこの書体なんです。細くてしなやかな、血のような。ほかにはない書体で、こういうのも濱崎さんが考えるのでしょう。

濱崎:そうですね。

永田:この字は、印刷したその上に、シルク印刷といってインクを乗せて盛り上げているんです。「河野裕子歌集」というところは1回だけの印刷です。これと同じようにタイトルの「母系」の書体も印刷されているのですが、発色を良くするために、同じ色を2回印刷している。その上にさらにインクをのせて、ニスで仕上げています。だから字が少し盛り上がっていて、光沢もある。

西之原:印刷した上に乗せるって、これ、ずれることなくできてるってことですか? こんな細い線まで? ぱっと見たところ分からないけど、すごいことしてるなあ。

 

(補足:後日、『母系』製作の際に印刷会社や製本会社に渡したという「注意書き」を濱崎さんから見せていただく機会がありました。「注意書き」では、驚くほど細やかな指示がなされています。例えば、「母系」の「母」の字は、非常に繊細な線から成り立っていますが、その線へのニスの重ね方については、bestbadbetterの3例が図示されています。また、帯の巻き方についても、帯裏の赤の照りかえしをうまく映すために「少しふんわりと巻く」など。こうした微妙なところが、上の話でいう「常なら印刷所・加工所に結果オーライで任せる微妙な塩梅」なのでしょう。普段は任せるところを注意書きとして念を押すわけですから、印刷、製本の専門家にはむっとされてしまうこともあったかもしれません。装幀家のふんばりどころであったと推察します。注文に応えた印刷のプロ、製本のプロもさすがです。)

 ( 装幀放談(3)へつづく )