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川を見てゐた手だらうかうつすらと電車の窓にしろき跡あり

仕事の歌―天道なお

天道なおさんとは私は同世代です。仕事の歌に心打たれました。

 ideaはときに熱風 明け方のデッドラインを飛び越えよ、鹿

 ほどけゆく飛行機雲になけなしの我のキャリアがかさなりてゆく

 水圧に激しく歪む海亀の卵であるのかオフィスの我は

 誰がために働くわれかしろしろと冷える陶器に乳流しおり

 Salarium(サラリウム)しろじろと照りわたくしを輝かせていたのか塩は

 旧姓のシャチハタの朱濃くうつり天道さんと呼ばれし日々よ

いずれも第一歌集『NR』(2013年8月、書肆侃侃房)より。1首目は、テンションが高いです。明け方のデッドラインが迫る中、それまでになんとかアイデアを出さなくてはならない。熱風のように熱く、強い、活きのいいアイデアを自らのうちに待望する気持ちでしょう。鹿のイメージに託して「飛び越えよ」と、自らを、自らの未知なる力を鼓舞しています。ワーカーズ・ハイのような状態だろうと思います。場面も言葉運びも強く、鋭い。前へ前へと進むリズムが非常に格好いいです。一方で、2首目、3首目の忸怩たる思いは、職種に関わらず、組織で働く者なら覚えのあるものでしょう。4首目は本当に切ない。「手洗いの個室で再び母となり乳房を搾るわれどんな顔」という歌もありますが、これらの歌は、母としての体(自然)が、労働者としての「私」を圧倒してしまうときの、呻きなのでは。職場では役割を果たさなくてはならない、けど、どうしようもないわけです。どうしようもないところに立った時に見える生の形が、手洗いで乳を搾る私の姿なのであり、つらいのだけど、それはなぜか強く輝きを放ってもいて、生きている、という感じがする。ワーキング・マザーは大変、というふうな単純な読みに収めたくない一首です。5首目は、深いですね。Salarium=塩。

 サラリーの語源を塩と知りしより幾程かすがしく過ぎし日日はや 島田修二

やはり、この歌を背景において読みたいです。働いてサラリー=給与を貰うということ、その仕組みを遠くから眺める視点を得たとき、働く者は詩人になるのではないでしょうか。島田修二は爽やかな諦観と安らぎを詠い得ています。天道なおの一首は、働いて給与を貰うという仕組みの内で、やりがいを感じ、がんばり、輝くように生きてきた自らの生の在り方を、こわいくらいに静かな目で見ています。作者は職場を去るのですが、6首目は働いてきた日々への愛惜が、シャチハタの小さくもくっきりとあかい印に凝縮されています。

歌も良いのですが、最後に「あとがき」より。

「プライベートでは生まれ育った関東を離れ、結婚・出産というライフイベントがあった。‐‐自分のうたがより一層現実性を帯びてきたのは、この時代である。(中略)しかしながらオフィスの荒涼とした風景の中で、様式美や豊かな情感を見出せたのも確かだ」

結局、そういうことなんですよね。激しく共感します。「荒涼たる風景」の中でも、どんな場所でも、どんな状況でも、何をしていても、私は歌える。と思うと、なんだか心強くないですか。

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