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川を見てゐた手だらうかうつすらと電車の窓にしろき跡あり

仕事の歌―河村盛明

仕事の歌について、最近読んだ歌集から。

 輪転機ひびき伝ふる書庫の中此処に来て独りのわが時間

 紙乱しまた一日過ぎし机の上手にあたたかく夕光及ぶ

 最終版終りしあとの安らぎに柱は青き色に明け初む

 日ごと袖を汚して帰る活字文化頽(すた)れゆく時近からむとも

 闘牛の日に来て闘牛にかかはりなき取材終へたり汗垂りながら

いずれも河村盛明歌集『視界』(1986年刊)より。河村盛明は「アララギ」「未来」で活躍し同人誌「フェニキス」の編集発行人でもありました。1922年生まれ、1995年死去。『視界』は1946年から1964年までの作を1986年にまとめたものです。歌から分かる通り、職業は新聞記者。支局勤務で取材に出たり、地方部デスク、社会部デスクなども務めているのですが、そのころに歌作は途切れがちになってしまったようで、多く残るのが、それより前に編集職として本社に勤めていたと考えられるころの歌です。私も、時代と仕事内容が違うとはいえ、同様の職場で働いています。ですので、ちょっと冷静に読めないところもあり、2首目や3首目など「そうそうそう!」と言ってしまいそうになります。1首目もよく分かります。輪転機は地下の印刷工場で動いているのですが、その振動が建物の上の方にまで伝わってくる。現代のビルでも、微かながら、時に震度1とも一瞬紛うほどの震えが伝わってくるので、50~60年前の建物なら、振動は「ひびき」ともなるでしょう。4首目には、私はちょっと驚きました。50~60年前に「活字文化」のすたれる時を予感したとは、どういうことか。どういう意味での「活字文化」なのか。「新聞・雑誌の隆盛期」みたいなことでしょうか。その時すでにすたれていくことを見通していたのなら、そりゃ日々の仕事にも歌にも徒労感がにじみますよね。実際にすたれた今となっては、活字関連の仕事に従事することは、もはやど根性ですけどね。徒労なんて言ってる場合か、活字と一緒に生き抜いてやる、ぐらいの気持ちでないとやっていけないわけで、その点、時代の差を感じます。5首目は取材者としての歌。結句の「汗垂りながら」が良いです。見ることのできなかった闘牛を思いながら働いた本人の汗の垂れる姿に、どこか牛の姿が重なってユーモアがあります。