galleria!

川を見てゐた手だらうかうつすらと電車の窓にしろき跡あり

「短歌研究」9月号短歌時評「不謹慎の文学」

「塔」の全国大会終わる。いろんな人の話を聴き、また、話しました。帰ってから「あ、あの人と話していなかった」と何人も思いつくのは、惜しいことだけど、うれしいことでもあります。

発売中の「短歌研究」9月号に、短歌時評「不謹慎の文学」を書きました。

短歌研究 2014年 09月号 [雑誌]

短歌研究 2014年 09月号 [雑誌]

 

 全国大会シンポジウムでの鷲田清一さん、内田樹さんの言葉を借りれば、私の中では「宛先」をしっかりと定めて、投げています。届け、と願いながら。「短歌時評」は今回で私の担当分は終わり。終わるのがさびしい。すごくたのしかった。

寒蟬と送り火

f:id:leto-kafka:19800101000043j:plain

家で使っている二十四節気の暦。猛暑や台風、断続的な豪雨、と天候は不安定ですが、暦のとおり、13日に今夏初のひぐらしを聞きました。異常気象というけれど、二十四節気はわりと当たっていることがあります。それとも、暦を見て、自分の中の季節の感覚が暦の言葉に合わせて調整されるのか。

f:id:leto-kafka:19800101000056j:plain

16日、京都の五山送り火です。写真は大文字山の「大」。午後8時に点火。大雨の警報が続き、避難指示の出ている区もあり、空も曇って山がかすみ、観光協会も「河川が増水しているから近寄らないように」とFacebookで注意喚起。行われるのだろうかと案じていましたが、点きました。送り火の日にこれほどの悪天候になるのは珍しいのでは。大、妙、法、お船、鳥居、左大文字の6カ所がKBS京都で同時中継されるのも京都ならではです。近所から、寺の鐘や静かな歓声が聞こえてきました。

三谷幸喜の文楽「其礼成心中」

京都劇場で公演中の文楽「其礼成心中(それなりしんじゅう)」(作・演出 三谷幸喜)が本日楽日。私は先日見てきました。職場の人に勧められて文楽を見始めましたが、オーソドックスなものをいくつも見ないうちに、三谷幸喜による新作文楽(2012年初演)を鑑賞することに。結果、最初から最後まで笑わせられました。しかし、胸に迫る瞬間がいくつもあり、落涙。文楽で落涙するとは思ってもみず。しかし、私が落涙している横で笑っているお客さんもおり、その場面に対する客席の反応は笑いと泣きが半々でした。それはすごいことではないか、と。笑いとかなしみが表裏一体だということを体感しました。

舞台が始まる前、まず、「其礼成心中」のポスターや床本などに添えられた英訳にニヤリとさせられます。「Much Ado about Love Suicides」。英訳すると途端に軽い! これを日本語訳すれば「心中から騒ぎ」になるでしょう。昔やっていた某テレビ番組を思い出す人もあるかもしれません。英訳することで、喜劇色が前面に出るのだなあと感心。Love Suicidesって・・・。本来なら、心中物は悲恋という主題に、主人公以外の人間模様もからめ、人生のままならなさとか、世間のつらさ、人間のやるせなさも描きだす深い劇(ドラマ)だと思うのですが、カラリと「Love」に限定するところが、なんだかもうばかばかしくて良いわけです。

以下は、物語に触れますので、知りたくない方はご注意を。

 

舞台は、近松門左衛門の書いた「曾根崎心中」が大当たりした後の曾根崎の森。「曾根崎心中」のせいで曾根崎の森は心中の名所となり、夜な夜な若い男女が心中しに訪れます。これに頭を抱えたのが、近所で饅頭屋を営む半兵衛夫婦。縁起が良くないというので饅頭は売れず。半兵衛は、曾根崎の森での心中をやめさせるべく、毎晩パトロールに出ます。若い男女が手をとりあい、目を見つめ合って自分たちの世界に入り込み、ひらひらと花びらが散りかかり、二人の心中が美しく完成せんとするその時に、むさくるしいおじさんが「ちょい待ち!ちょい待ち!」と大音声を上げて割って入るその可笑しさ。これでまず、心をつかまれます。それ以後展開する半兵衛夫婦の人助け(いや営業努力?)が思わぬ運命をもたらす・・・・・・というお話。

面白いのは、現代的な見せ方をする一方で、劇中で文楽の型をしっかりと見せていること(って、文楽初心者の私がいうのもなんですが)。冒頭で若い男女が見せた心中の型を、クライマックスでは半兵衛夫婦になぞらせています(そうなった経緯はここでは詳しくは言いませんが)。ここがとってもかなしい。ここに至るまでの夫婦の会話で、虚と実がせめぎあい、ついには虚が実をしのいでいく過程も見どころ(聴きどころ)です。

それから、近松の存在。劇中に近松が登場します。床本には書かれていないのだけど、クライマックスに向かっていく半兵衛夫婦を、舞台下手に現れた近松がじっと観察している場面があります。これには震えました。「ものを書く」人間に対するオマージュを感じました。近松が、すごく嫌な感じに見えるんですけどね。冷徹な温かさ。私が無言の近松に感じたのは、そういったものでした。

人形の斬新な動きも見どころ。「パトロール」「タイミング」「逆ギレ」「カミングアウト」なんていう現代語も取り込んでしまう語りの豊かさにも唸りました。再演があればもう一度見たい舞台です。かつ、文楽の定番の演目ももっと見たいと思わせてくれる舞台でした。文楽、失ってはもったいないです。

『塔事典』付録②

『塔事典』付録の冒頭は「塔の京都」という地図です。塔にゆかりのある場所が、地図上に示されており、各項目は事典の本編で詳細が解説されています。京都観光にもってこいです。通常の京都の観光案内ではまずラインアップされないコースになるでしょう。

蛇足ですが、本編に付け加えると、

京大会館・・・かつては地下のレストラン「近衛」のハヤシライスもしくはエビフライで旧月歌会後の空腹を満たしたものだ。もう一度食べたい。

からふね屋熊野店・・・コーヒー一杯で朝まで粘れる喫茶店として、真夜中の迷える学生もしくは勉学に励む学生を受けとめてきた。2000年代半ば、京大短歌会で行われた、作者本人を招いての「斉藤斎藤『渡辺のわたし』研究会」は、帰れなくなった斉藤さんを囲み、午前4時までこの店で過ごした。近年、惜しまれつつも午前0時閉店となった。左京区の迷える学生はいまどこで夜を過ごすのか案じられる。

フランソア・・・ガラスの器にのったアイスクリームは賞味の価値あり。バニラアイスにウエハースを添えるまでは普通。しかし、2粒の巨峰が添えられるところがプチぜいたく。全体の色合い好ましく、「こんな感じの服がほしい」とは筆者の感想。

六曜社・・・四の五の言わず、コーヒーとドーナツで決まり。なお、店の前で歌人に出くわすことがある。寺町二条の三月書房から流れてくるのにちょうどよい立地であるためと思われる。

『塔事典』付録①

塔短歌会60周年記念『塔事典』が刊行されました。いろいろと面白い項目があるのですが、それは追々語るとして、巻末の「付録」で、「全国大会一覧」を見るうちに回想モードに。

私は1999年の45周年大会(京都市 ホテルフジタ)から参加していますが、

(注:大学1回生のころで、まだ塔には入会していませんでした。京大短歌会の先輩らに「来なよ」と誘われて、そのころはまだそんなええかげんな参加のしかたがアリだったわけで、ぶらりと行って、受付の手伝いをするなど、うろうろしていました。先輩の福良さんが壇上でしゃべっていて「すてきだなあ」と思ったり、後から来て隣の席に座ったのが岸本由紀さんで、黒くてシャープな感じの、袖にダメージのある服を着ていてたいへんおしゃれで、初対面なのに「(歌もセンスも)好きです」と口走ってしまったり。屋上での集合写真にもちゃっかり交ざった気がします。そこで河野裕子さんに「河野です」って名刺を渡されて、その名刺には名前しか書かれていなくて「これがほんとの名刺やな」と妙に感動して、何回もその字面を見て。会場でバタバタしているうちに握ったりしてしまったようで、皺がついてしまいましたが、その名刺はまだ持っています)

そのホテルフジタも、もうないんだよなあ。まったくの余談ですが、結婚するとき鹿児島と岐阜から親を呼んで初めて顔合わせをしたのも雪の日のフジタだったし、初めて行ったビアガーデンもフジタの屋上でした。確か河野美砂子さんがフジタの窓を詠った歌があるのですが、空が、ひと色濃く深く映る大きな窓が連なっており、外から見ると独特のたたずまいのホテルなのでした。

大会で、けっこう国内各地に行っています。どの回にも必ず印象深く覚えている場面があるのですが、2000年の鳥羽、夜、海辺に散歩に行って、何人かが海に向かってバカヤローと言って喜んでいたなあとか、2001年の宮崎大会、大阪からフェリーで行きましたが、船中、大部屋にふらりと山下洋さんが現れて、そのころはほとんどお話したことがなくて「あ!『たこやき』の人だ」と思ったこととか。鎌倉オプショナルツアーとか、高野山オプショナルツアーとか……松山の路面電車とか蟬の声とか……短歌の会なのに、申し訳ないことに短歌の記憶がまったく出てこず。パネルディスカッションでしゃべったりもしているようなのですが、自分が何を話したのかも覚えていません。誰々がこんなことをしていた、言っていた、みたいな思い出が多いです。たぶん、その人本人も覚えていないような瞬間の姿をいくつも、私は覚えています。止まらなくなりそうなので、このへんで。

あ、1961年の津での大会のイベントとして「塔の体質検討」って書いてあるけど、これは何でしょう?? 面白そう。1969年の「私のリアリズム」もツカミが効いていますね。手前みそですが、2007年の「定型をふみはずす」もタイトルとしてけっこういい線いっているのでは。しかし何を話したんだっけ(笑)。

「短歌研究」8月号

「短歌研究」8月号、発売中です。

短歌研究 2014年 08月号 [雑誌]

短歌研究 2014年 08月号 [雑誌]

 

 短歌時評「非力な歌を読みたい」を書いております。

先月大阪で行われた「クロストーク短歌 続 いま、社会詠は」(大辻隆弘、松村正直、吉川宏志)をレポートしつつ、現在の社会詠について思うことなど。お読みいただければ幸いです。

しばらく告知:塔短歌会60周年記念現代短歌シンポジウム

*満員御礼。受付は締め切りました。

短歌の夏です。「塔短歌会」の公開シンポジウムにいらっしゃいませんか。高野公彦さんの講演、鷲田清一さん・内田樹さん・永田和宏主宰の鼎談と、豪華なプログラムです。どなたでも参加できます!お申し込みはこちら→http://www.toutankakai.com/ クリックすると塔短歌会のホームページへ。

日時:2014年8月23日(土)13時〜17時

場所:新都ホテル(JR京都駅南側すぐ 京都市南区西九条院町17)

会費:2000円(学生は1000円)お申し込みの上、当日受付にてお支払いください。                                      

プログラム:

12:00〜13:00 受付

13:00~13:10《開会》挨拶 永田和宏

13:10~14:30《講演》高野公彦「曖昧と明確のはざま」

14:30~14:50 休憩/《短歌朗読》

14:50~15:30《問題提起》鷲田清一・内田樹

15:30~16:50《鼎談》鷲田清一・内田樹・永田和宏「言葉の危機的状況をめぐって」

16:50~17:00《閉会》挨拶 栗木京子

 

 

「造本装幀コンクール」レポート④

「コデックス装」という言葉を知りました。糸で綴じられている背がむきだしで、背表紙をつけない装丁です。半田也寸志写真集『IRON STILLS アメリカ、鉄の遺構』(出版社:ADP、装幀者:葛西薫・増田豊、印刷・製本:山田写真製版所)のコデックス装が話題になりました。

IRON STILLS  アメリカ、鉄の遺構

IRON STILLS アメリカ、鉄の遺構

 

 ページがぱっくりと水平に開くので、見開きの巨大な写真が見やすい。背の糸は黒。「黒糸を使っているため、『鉄=骨格』という構造体をより強く意識させ、効果的」(ミルキィ・イソベ氏)との評も。テーマである「鉄」が、「本」という物質で比喩的に表現されていることがよく分かります。「装幀放談」でもそのような話をしていましたが、その比喩を読む(深読みする)のが、読者としては非常に愉しいわけです。

さて、パンフレット掲載の柏木博氏による「総評」より引用します。

「(コデックス装は)背表紙が考案される以前の装幀の方法だ。2世紀頃に巻子本に代わって登場したデザインで、当初はキリスト教聖書に使われたと考えられている。codexはラテン語で木の幹を意味するようだ」

なんと2世紀! そんなに古いデザイン! しかし、この数年コデックス装をよく見るそうです。そういえば、濱崎さんの『世界で一番美しい樹皮図鑑』もコデックスでした。さらに「codexはラテン語で木の幹を意味する」に瞠目! おお! となると「樹皮図鑑」は、表紙は樹皮、背は幹をモチーフとし、本全体で樹木の胴を表していることになりますね。うおーじわじわと感動。再び「樹皮図鑑」をナデナデ。

「造本装幀コンクール」レポート③

第48回造本装幀コンクールの審査員(三賞選考)は、次の5名の方々でした。

柏木博氏(武蔵野美術大学教授)、浜田桂子氏(絵本作家)、ミルキィ・イソベ氏(装幀家・デザイナー)、緒方修一氏(装幀家・デザイナー)、中江有里氏(読者代表、女優・脚本家)

『galley』についての講評では、緒方さんの「温かみのある装丁。息づかいのある装丁」というお言葉をうれしく拝聴。浜田さんの「歌が生まれた日々の蓄積を感じさせる」「幸せな歌集」というお話に至っては、斬新な観点に驚くとともに、今回の装丁についての著者の喜びを言い当ててくださったような気がしました。

浜田さんが紙の本について語られた中で「経年劣化」という言葉が印象に残っています。紙は、時間とともに、その持ち主とともに変化していく。劣化していくということが紙の本の価値なのではないか、というお話。半田也寸志写真集『IRON STILLS アメリカ、鉄の遺構』が話題になりました。アメリカの建物や橋など鉄製の構造物を捉えた、B4判変型、ド迫力の写真集ですが、これもやはり、紙に印刷されるからこそ、厚み、深みのある写真になるのだ、ということ。時間がたって、劣化していくことも含めて味が出る写真集であるということ。

これは目からウロコです。写真は、鮮やかであることが価値であり、つい、デジタルの写真を、デジタルな媒体で見たり保存したりする方がいいような気がしていました。商品としてのカメラも、鮮明に撮れることを追求しています。もちろんそういった特長が生きる場面が多々あります。しかし、紙という媒体だからこそ見せられる迫力がある。そのことを、この写真集と浜田さんのお話から実感しています。

 *レポートは続きます。次回④のテーマは「コデックス装」、次々回⑤は「ギャートルズ」の予定。

「造本装幀コンクール」レポート②

夕刻から、表彰式に出席。濱崎実幸さんとここで合流。式では、入賞作品の出版社、装丁者、印刷会社、製本会社の名前が呼ばれ、代表者1名が壇上に出て、賞状とトロフィーを受け取ります。『galley』は青磁社代表の永田淳さんが壇上へ。席に戻られてから、私も少しトロフィーに触らせてもらいました。透明で本の形をしており、ずっしりと重いです。

受賞者の言葉、永田さんの言葉が振るっていました。青磁社が社員二人の会社であること(始めたときは一人だった)、経済産業大臣賞の半田也寸志の写真集『IRON STILLS』の出版社「ADP」も一人で仕事をされているいわゆる「一人出版社」であることを踏まえて、

「これから、紙の本の良さを残していくのは、大手ではなくて、小さな出版社かもしれませんね」

ひょうひょうとおっしゃっていましたが、見えない刀をスラリと抜いたかのごとく見えました、私には。チャレンジングな言葉に心踊る瞬間でした。受賞作はさまざまで、出版社も大小さまざまですが、確かに、小さな出版社から出ているもので印象深いものがいくつかあります。例えば、仕掛け絵本『MOTION SILHOUETTE』の梶原恵、新島龍彦(読書推進運動協議会賞)。受賞作は、開くと、のどにさまざまな形のポップアップが。光をあてると、そのポップアップの影が機関車などの形になり、ページに映ります。幻想的でわくわくするこの絵本は、一点一点手作りなのだそうです。

コストを考えることは大切だけれど、コスト計算に負けないこだわりを追求できるのは、もしかしたら小さな出版社なのかもしれません。各地にそういう出版社があり、面白いものが発信されていることは確かです。